マングース寝かしつけ

思考の断片の記録、気まぐれに更新

テンプレよりも聞きたい言葉

 テンプレ的な言葉というものがある。あまりにも便利なのでビジネスの世界を筆頭に、多種多様な言葉がありとあらゆる場で多用されている。そこでは相手に失礼のないように伝わることが最優先で、そのための言葉は自分あるいは周囲にとって安全な言葉であれば、自分のものだろうが他人のものだろうが大差はないという考え方がそこにはある。

 こういう書き方をしていることで分かるように、私はあまりテンプレ的な言葉が好きではない。使っちゃうけどね、便利だから。それでも使ったあとは自己嫌悪に襲われる。

 

 本題に入る。先日、哲学者の千葉雅也が芸能人やスポーツ選手の言葉について以下のようなことを呟いていたのを見かけて、私は深く頷かざるを得なかった。

 今回の新型コロナ禍に限らず、自然災害などが発生した際にこれらの人気商売のフィールドで活躍している人々がテンプレ的なメッセージを発信するのは珍しいことではない。

 往々にして、芸能人やスポーツ選手などの社会的影響力の大きい人々は、医療従事者への感謝の気持ちや、被災地への支援を表明するべきであるという社会的要請を受ける。それが地位ある人間に求められる「正しい行い」だからだ。規範意識とも言う。

 そして、人気商売は定型から外れない方が好ましい。定型から外れたものは好みが分かれるが、定型から外れないうちは低評価を付けられる謂れはない。定型こそが一番多くの人々に訴求出来て、一番売れる。逆説的に考えると、一番多くの人々に訴求出来るからこそ定型は定型になるとも言える。

 別に定型「論」について語りたいわけではないので話を進めるが、以上のことを考えれば、これらの社会的要請を受けて発信するメッセージも定型的である方が、彼ら彼女ら、あるいはその周囲の人々にとって安全なものになる。最大公約数的な当たり障りのない文言が一番カドが立たないからだ。誰だって「正しい行い」で批判されたくはない。

 もちろん、見ている方もそのことを了解しているから、彼ら彼女らが読み上げる定型文に対して「心がこもっていない!」とか怒り出すようなクレーマーはほとんどいない。棒読みだろうがなんだろうが、「ありがとう」と返す。以上でこの美しい社会貢献活動は終了となる。あとは「ステージや試合を通じて(任意の属性を好きに入れてね!)の皆様に感動や勇気を届けることが出来て良かった」とでも言えば完璧だ。

 

 かなり意地悪な書き方をしてしまったが、このように定型的な言葉が規範的なものとされて流通し、儀礼的なやり取りに終始する光景が繰り返されることに、発信する側も受信する側も慣れ切ってしまっているのが現状だ。かくいう私もその一人で、選手がテンプレ的なメッセージを読み上げていることに対して、若干の落胆は感じつつも「そういうもの」として受け流していた。

 つまり、私は芸能人やスポーツ選手が自分の言葉で喋ることを禁じられることを容認していたわけだ。その方が「分かりやすく」て「便利」だから「仕方がない」と諦めていた。蔑視の姿勢があったと言われても否定は出来ない。実際、自分の言葉で喋らせたらヤバそうな選手は何人でも思い浮かべることが出来るし、彼らには台本を用意するべきだろうと思ってしまう。でも本当はそういったもっともらしい合理性に対してこそ抗わなければならない。どんな理由であれ、彼ら彼女らが自分の言葉を奪われて、他人の言葉のスピーカーに堕することを容認してはならない。それを実感する出来事が先月にあった。

 それは、ベイスターズの公式Youtubeチャンネルで配信されている『突撃!ヤスアキマイク』の中での一幕。内容は守護神にして広報も兼ねる山崎康晃が様々な選手にインタビューを敢行するというもので、企画自体は以前にも何度か行われている。今回は新型コロナ禍による活動休止期間中のファンサービスとして結構な長尺で収録されていた。

 第一回のゲストはエース今永。「いまなにやってんの?」「『星のカービィ64』」という緩い会話に始まり、ファンからの質問に答える形で番組は進んでいく。そして、いよいよ終わりに近づいた時「見ている人たちにメッセージを」と聞かれた今永はこう答える。

 「みんな頑張っているし、みんな辛いと思うので。なんかこう、安易に「前を向きましょう!」って、もちろん口で言うのは簡単なんですけど、なんか、頑張りましょうとか、前を向いて行きましょうとか、安易な気持ちではあんまり言いたくない」

 誰もが頑張っている状況で「頑張れ」と発信することの危うさを口にしたのは、常日頃から「頑張れ」と言われ続けているトップアスリートとしての率直な思いだろう。そしてこうも続ける。

 「プロ野球選手が野球が出来ずに、何が出来るのってなったら、今こうやってヤスさんはじめ他の人がこう企画してくれたこととか、こういうことで誰かが、寝る前でも良いからクスッと笑うかもしれない、あいつらバカなことしてたな、とかでも良いと思う。なんかそういうのが届けられたら良いと思う」 

youtu.be

 「自分の言葉で良いから」と前置きした山崎康晃、それに応えた今永。(この二人だから、というのはあると思うが)二人を信じてテンプレ的メッセージを用意しなかった球団。これら全てが合わさって、今永昇太という一人の人間の言葉がファンの元に届いた。私は深夜にこれを見ていて、なんだかとても良いものを見れた気分になった。

 

 真に人を救うのは、無味乾燥で安心安全な言葉ではない。ちょっとくらい言葉が足りなくても、悩みながらでも良い、自分の言葉を発信してくれた方が心に響く。それが憧れの人なら尚のこと、テンプレ的な言葉の裏に隠れている、あなた自身の言葉を聞きたいと思う。言葉というものはそういうものではないだろうか。